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2011/08/31

マダム エイコ


ナイスなサングラス



母は14年ほど車椅子生活。
この生活にも母も私達も慣れてきた。
この間に父も他界して今は華麗なる後家さんです(笑)

車椅子と同時に言葉も無くしてしまったので、おしゃべりも出来ない。
あれだけ口ばかり動いていた母なので心の中はどうなのか?と聞いてみたいけど聞くこともできない。

幸いに?こちらの言うことはわかるので「はい」」「いいえ」でなんとかなっている。
不思議なことに、ゃべれなくても親子って不思議で、母の欲することはなんとなくわかる。

母が入院してた頃に、父も入院し、おまけに主人も・・・・という時期があった。
3つの病院巡りよくやったなぁー私。下の子は幼稚園だったし。

母が最初に入院し父はまだ元気でした。車椅子での生活の為準備を整え退院し、父と母の二人暮らしが始まった。

私達姉妹がサポート。
父初めての家事でてんやわんや

「焼きそばってどうつくる?」と父から電話あったりしておもしろかった。
「今、ふたりですきやきしてる」って楽しそうだった。
父が
「お母ちゃんこんなになったけど、今お父ちゃんだけ頼りにしてかわいらしいわぁー」
と言ったのを私は微笑ましく少し電話の前で泣いた。

正直母がこうならなかったら、今まで苦労したきた母は父をホッタラカシにして出歩いていたと思う。
口のきけない母は父に愚痴を言うこともない。
父にとっては、最後の最後は仲の良いラブラブな時間を過ごした日々だったと思う。

続きます



私のお気に入りの母写真



母は長い眠りから目覚め、自分に何が起きてるのか悟った時、何も言わず混乱せず受け止めた。
私達が病院を後にした時、泣いたんだろうけど。
それからずっと泣き言は言ってない。救われるのは私達。
なので姉妹も仲が良く、母を中心に密に連絡は取り合ってる。

母にわが身を嘆いたり、私達にいらん苦労を掛けていると思わせないように「お母さんのお陰であちこち行けて、どちらの家族も仲が良くって」って言うと満足げにしてる。

そんな母は今は一人暮らし。自ら望んだこと。
もちろん、介護サポートと私達の通いのあれこれが大事だけど、母は娘達の家には行きたくない。その為にリハビリがんばってトイレも工夫してできる様になったしと。

ま、頑張れるまで気を使わず、自由にのびのびの一人暮らしを応援している。

祖父母のお墓参り

この写真の時私達はひしゃくやバケツを片づけていたんだけど、戻ったら母が気持ちよさそな深呼吸
なぜかカメラ越しにまた泣けた。自分の親のお墓参りに行けて新鮮な空気を吸って嬉しかったんだろうな